空のおもちゃ箱に足を踏み入れた。
もう2度と使えないと思っていた糸も切れて関節も何もかもボロボロになった人形を無理やり動かしてみた。
ダメだと思っていたけど思ったよりしぶとかったらしい、また同じように踊れていた。
もう2度とあの楽しかったわたしを演じられないという絶望から学校にも行かなくなっていたが、まだできるらしい。わたしはまだ舞える。
わたしは大学を休むあたりから、自分を壊れた人形とか、人外とか、自分が人間未満であるという例えをするようになっていた。(人形であるというのは育ちとかの問題で親の操り人形でしかないというニュアンスでたまに使っていた)
もともと人間であると思っていたけれど、双極で普通と同じことはできなくなっていたし、それを取り繕うことももう叶わなかった。
普通と同じことも困難だけど取り繕って誤魔化す、それが人間を演じる人形。
演じることもできなくなったから壊れた人形。
そういう思考だった。
わたしの学校でのロールとしては、不真面目なようでちょっと真面目な楽しい人間、というところだった。
躁で自分の首を絞めるような逸脱行為をして、鬱でまともに学業もできず、人間として人を楽しませるようなことはできなくなった。
学業がまともにできないことも大問題だったが、それよりも自分が皆の期待する自分でいられないというのが一番苦しかった。
だからたとえ友達が先に卒業して取り残されるとしても、もう演じる必要がないようにしたいと願った。
結局、今日サークルに顔を出して昔と同じことをしたわけだが。
でもできるのならば、壊れる前の人形より上手く踊りたい。
もっと、人間の、ように。