ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

血の上を歩く

地下鉄の電車がホームに来る時の空気の揺らぎが好きだ。あと一歩踏み出せば死ねることを思い出させてくれる。

妙に冷えた頭で駅全てを見渡しながら「死んでやるもんか」と呟いた。

 

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今日もまたタバコを燻らせながら思考をしていた。

去年の、一昨年のわたしは何してたっけか。

このブログを漁ってみたら大体この時期には記事があるわけなのでその疑問は解決するはずだが、今回はそれに頼らずにいた。

そのうちに気づいたのだが、いつもわたしは何かに苦しんでいる。みんなそうなのか?そうだったら教えて欲しい。

ともかく、去年のわたしは卒業できるかの瀬戸際(実際はそうでもなかったのかもしれないが)ではちゃめちゃに苦しんでいた。一昨年のわたしは友達たちがわたしより先に社会に出ていくことに絶望していた。

でも今日のわたしはそれを「ああ、それもよかったね」くらいで流していく。喉元過ぎればってやつ。

 

前にも書いたが、病む理由というのはその時にしか効果を発動してくれない。してくれなくていいが。

今のわたしを形作っているのはその時々に全力で病んだ自分だ。病んだ経験は間違いなくわたしの血肉として役に立っている…と思う。

でも「あの時あんなに苦しかったんだから今の状況なんて苦しくない」みたいな理論は大嫌いだ。そんなもの苦しみを定量化できるわけないんだから通用しません。

 

しかし、あの時から考えればこんな状態でよくもここまで遠くに来れたものだ。

1週間もとりあえず今日でひと段落。来週に向けて壊れた足を休めることにしよう。

まだ生きていくために。