ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

人形は中身の変わったおもちゃ箱の中でなにを想うか?

一年のブランクを経て、どの面下げて帰ってきてんだ感ある中大学にあと半年行くわけだが、その最初の1日、1限目が始まる前に今思うことをだらっと垂れ流したい。

 

仲良くやってたイツメンは皆卒業それぞれの道を行き、最後に遊んだ日に「また遊ぼうな、今生の別れじゃないでしょ!」って別れたけど、結局半年経った今一度も連絡をしていない。

わたしが大学のコミュニティに顔を出さないようになってるのもあるだろうが、個人の連絡先は一応持ってるわけで、それでもだれとも話をしていない。

 

あの日同じ授業を受けてた教室、一緒に遊んでた街、文句を言いながらみんなで通ってたクソみたいな山道。

そんなものをあと少しだけど1人で過ごしていかないといけない。

 

わたしは、1人でやっていけるのだろうか。

ずっと人間がおもちゃに見えていた。今思えば双極が緩やかだった故にずっとそれなりに躁だったのだろう。倫理観などなかった。

今の、不安定とはいえ色々理解して、薬を飲んで、それなりに冷めた頭で、1人、いや1つでこの空になった盤面を、ゲームを進めていけるのだろうか。

 

半年後のわたしは、まだ生きているのだろうか。

 

 

 

記憶の整理、歩く道。

もう一年と1ヶ月経とうとしている。
ずっと続くと思っていたわたしの幸福だったもの。
相手にとっては幸福ではなかったもの。
あの瞬間からわたしに穿たれた穴は、まだ塞がらないままだ。

 

それは、そうに決まっている。埋まるわけなどなかった。

だってわたしは、16年前の甘酸っぱさも、中三の秋の地獄も、高1春の悪夢も、高2の切なさも、高3の羨望とぬくもりも、大学2回の哀れみも、すべて、すべて覚えているから。

1年前の傷が癒えることはまだずっと、ずっと先なんだろう。もしかしたら全部、人生を終えるまで刻まれたままなのかもしれない。

 

~~~~~~~~~~思い返し~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

あれは3回の春だった。

わたしは付き合っていた人間がいたのにもかかわらず、次の人に手を出した。

ただメンヘラ仲間が欲しかっただけ、って言っても言い訳にしか聞こえないのはわかっている。誰にも理解されなかった。

でも実際そうだった。わたしはただ本心を理解してくれる人間を増やしたかった。それだけだった。

結局二人で遊んでいたらなし崩し的にそんな関係になってしまった。そういう雰囲気を出されるとその気になってしまう悪癖のせいだ。せいだ、じゃない、意志が弱かった。

その時の彼女とは別れないまま。実際そのままでもいいかもしれないと心のどこかで思っていた。どうせうまく言いくるめられると。

しかしそうはならなかった。

全てバレていた。当然だ、どっちも同じサークルの人間だったから。

二人を傷つけるだけ傷つけ尽くした。

謝罪して謝罪して、新しいほうとそのまま続けることになった。

関係は修復できたとなぜか思っていた。それで1年半過ごした。尽くしたつもりだった。わたしは幸福だった、心の底から。このまま続いてほしいと願うほど。

相手はその間不安で仕方なかったらしい。また浮気されるんじゃないかと。でも嫌いにはなれなかったと。

わたしは相手も幸福であると勘違いしていた。わたしと同じ気持ちだと妄信した。

違った。どうしようもなく違う人間だった。

別れ話での最後の言葉が忘れられない。

お前はなにも努力できない、恋愛も絵も音ゲーもDJも勉強もなにもかも努力できていない。

意識のずれをこれでもかって示したものだった。

わたしはわたしなりにやっているつもりだった。

相手からはすべて不足していた。

 

そう、最初からずっと、致命的にズレていた。治るわけなんてなかった。

 

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sionchan.hatenablog.jp

去年の今頃とはまた違った感情になれている、少しは前向きに歩いている。

今なら終わった理由だって明確にわかってる。

 

今は、現在の話は、きっとスタートラインはそろっている。

いるよね?

そう思ってる、これも妄信だったらいやだけれど。

 

 

絶対言えることは、今のこともこの先ずっと覚えている、ってことか。

わたしはまだ前に進む、すべてのわたしを抱いて。

努力は、するさ。

 

 

今すぐに恋愛を騙ってお気持ち及び性的搾取をするのを止めろ

こんなことは今すぐにやめて風俗にでも行け

私は非常に憤っている。

これはどっちの性別だからどうとかそんなのは関係なくて、恋愛を騙って搾取することそのものの話である。

別に恋愛そのものを否定したいとか、だからどちらかの性別はクソだ~みたいなこととかを言いたいのではない。

単純に「そうやって人をだましていい思いをしようとするな」の一点に尽きる。

 

ここにおける搾取というのは恋愛になれている人間が慣れていない人間に対してする行為だとわたしの観測範囲では認識している。

これ、なにがひどいって、自分は何も思っていない安全圏から人心掌握して吸い上げられるようにしていくのがひどい。

自分は何も思っていないのに、何か思っているかのように装って、相手からの気持ちだけ搾取する。

最悪。

搾取される側は自分で決めたように感じているわけで、周りの人間がなにかいっても「そんなことない!自分で決めたから後悔しないよ!」とか言っちゃう。

こうなったら終わりだ、だれも幸せにならない。

されてる側が何かに気づいたとしても、気づかないとしても、そこに幸福はない。泣いてトラウマを植え付けられて終わるか、支配者と奴隷がそこに残るかどちらかだ。

 

どうすればいいかなんてのは決まり切っている。搾取したい人間が金払ってそういうサービス提供してくれるところに行って、普通の人間に手を出さない。これでいい。

今すぐに恋愛を使うのを止めろ。

そういうのは恋愛ではなくただの奴隷製造でしかない。

相手は生きたオナホールや生きたディルド、生きた財布ではない、人間である。

自分と同じく、赤い血液が流れていて、知能も精神も持ち合わせていて、傷つけば傷つくのだ。

向こうが選んだから悪い?自分が選ばれるために引っ掛けに行ったくせに?

気づかないのが悪い?恋が盲目なのを利用しているくせに?

どんな言い分も虚無だ。自分が利用していることを理解しつつ、それでそこを突かれたらまだ利用しようとして恋愛という万能盾を振りまわす。

 

今すぐに恋愛を利用して人を傷つけるのを止めろ。

恋愛はお互いの同意のもとにあるべきで、同意しているように見せかけて搾取するのはおかしい。

自分の行動に責任を持たないで悪夢を広げるな。

ちゃんとした人間同士のかかわりをしろ。

 

散文思考ログ(変わる病みの質)

ふと思い出した、とある高専生のこと。

どちらかというと、そいつに誘われたdiscordのサーバーのほうを思い出したのかも。

参加サーバー一覧を流し見したら、そこにそれはなかった。

追い出されたのか、それともそいつらに何かがあって解散していたのか、もはやそれを知るすべは残されていないが、ただほんの少し、ほんの少しのさみしさが画面に残っていた。

 

その人と出会ったのは、確か高1の春のはずだ。

月の姫(の前身)であるツイッタラーをやっていた時のことだ。

本来なら絶対に知り合えないであろう人間たちと変な話ばかりしていた。

高校のアカウントもその延長で作ったため、別の高校の人間と無理やりかかわったり、他学年の人間と馬鹿やったりしていた。

沢山の人間に囲まれたくて、注目されたくて、とにかく人間関係を広げようと昔の私は躍起になっていた。

 

さんざん今までに書いてきたが、とある人間の「記憶に残らないなら、そいつって生きてる意味ないんじゃないの」という言葉がトラウマになって、「何としてでも誰かの記憶に残らなければ、わたしに生きてる意味を!」と足掻いていた。

 

記憶をたどると、自分のメンヘラ要素は「もっと私を見てよ!!認めてよ!!」からスタートし、「果たして自分の暗い気持ちを知るものはいったい何人いるのだろうか?」だとか「それを受け入れられるものはいったい世界に何人いるのか?」となり、今は「理由もなく湧いてくる病魔と希死念慮との生きるための闘い」へと変わっていった。

 

なにが変わったからメンヘラ要素が変わったのか?と風呂で「もう二度とあの日にはもどれないんだよ」系の歌詞が含まれる曲を聴きながら考えていた。

 

この変化については、等身大の人間関係をしていくことになったのと、興味が外から内へと変わったことが大きい。

大学進学で出来上がった人間関係が今までより重厚になったのと、自分を他人が見る時、絶対に一部しか見えないということに納得した上で、自分とはなにかを他人に定義させることをやめたからそうなったのだろうと思う。

(その上でたぶんネットに全力を費やすようなリソースや精神性が消失したんだろうな~)

それにしてもいまだネットで新たなる人間関係を作り出すことはやめていない。

しかしながら、「わたしをみてよ~~~!!!!」と騒いでいた、ほんのりと死にたいだけ、死にたいを利用していた一般人だった時期とは違う。

もはや人に見てもらうためにネットをしているのではない。いや、見てもらうのは見てもらってるけども。

人を見て、自分の役に立てるために、そういう気持ちで使っている。

だから別に自分を認めてもらわなくても構わないし、そんなことは求めていない。

認めてもらえたらそれはそれでうれしいけどね。

 

思考のベースはその時の状況や精神性で恐ろしいまでに変容する。少なくとも私の中ではそうだった。

別に「今ほかの人に認めてもらいたくて病んでるあなた!つまらんからそんな悩み方をやめなさい!」と言いたいのではない。

その病み方をして学ぶこともたくさんあった。迷惑をかけてしまった人たちには申し訳なさがすごくあるが、役立つことは無数に得られたと思うし、今自分を動かしている思考に至るために必要なことだった。

その上視野狭窄が入りまくって現実の居場所も少なかったわたしにはそうなるしかなかったとも思う。

過去のわたしと同じ病み方をして苦しんでいる人たちも、おそらく生きていればいろんなものをみて、その上でたどり着いた場所でこのクソみたいな悩みから解放され、自分らしい答えに着陸したり、別の悩みに出会ったりするのではないかと思う。

まずその次のなにかに出会うために、今現在いる地点で足掻くことがそれなりに大事なのではないだろうか。

 

「いずれ変わっていくものだが、今出会っている病みに正しく苦しんでいこう」ということにとりあえず軟着陸しておきたい。

 

 

 

散文思考ログ(メンヘラの功罪)

メンヘラの皆様、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは今日も元気に希死念慮です。

 

さて珍しく真面目な話になるのですが、

メンヘラという概念の功罪について考えたことはございますでしょうか。

 

ちょっと前にお前らの言うメンヘラはメンヘラではない的な事を騒ぎましたが、とりあえずメンタルや人格に問題がある、ただただ面倒くさいだけの「普通の」人間に都合よく使われているように見受けられます。

とりあえずこの称号を公言すればそう言う人間たちのコミュニティに入れるのです。よかったですね。

こういう人間はわたしの中では「ファッションメンヘラ」、いわゆるファッヘラと呼んでいます。当記事でもファッヘラはそういう意味として認識してください。

 

ではわたしの中でのメンヘラというと、「精神疾患に苦しむ人間、もしくは人間にすらならなかった者」という概念になります。

べつにメンクリに通ってなくても実際に生活に支障があるならメンヘラだと思っています。

これでも本来の意味からかけ離れていると思うので悪しからず。

 

 

さて、精神疾患で病院にかかる患者数はH26年は392万人、H29年で419万人と増加傾向にあります(データがちょっと古いのはなんかこれしか見つからなかったため。厚労省のデータ)

そもそも精神科に行く人間が増える社会であるということ自体がまず異常である、ということはしっかり覚えておきたいですネ。

 

で、精神疾患持ちとしては、そしてもともと自分は精神疾患なんて持ってないと思っていたので単純にめんどくさい何かこじらせただけの人間としても、そういう「メンヘラ」というセーフティネットがあることは救いになるのです。

どちらかというとメンヘラという概念そのものは、良いものだと思っています。自分も救われたので。

そもそもこんなワードを使って誰かと繋がるだとか、助けてと発信するような人間は普通に普通からは外れてるタイプなので、そういう人間たち同士が繋がっていけるというのはいいんじゃないですか。知りませんけどね。

 

問題は、そこでファッヘラと精神疾患の人間が混ざってしまうことです。

自分をファッヘラだと思い込んでいる精神疾患ならともかく、メンヘラだと思い込んでいる一般人は厄介です。

本物との喧嘩だとか、逆に他の一般人からの余計な偏見を呼ぶだとかそういういざこざを起こします。

 

そして一番わたしが問題視していること。

精神疾患の人間はODやらやってますよね?それのリスクを伝えず普通の人間を引き込みかねないというところ。

ブ○○が流行るなどしましたよね(ヒでトイレに大量の空き瓶が捨てられてる画像が出回るなどして余計に有名になってる気がする)

他の薬や自傷方法などもそうですが、基本的にそれのメリットしか伝えません。調べてもそんなに出てきません。せいぜいデメリット伝えるとしても吐き気がするとか便秘になるとかそんな程度。

それによって実際にメンタルが不調になったりするなどというところを伝えることはないと思います。辛い?いいのがあるよ〜wみたいな教え方をします。売人かなんかか?

そうやって正しい情報もないまま手を出してこんなのに狂わされるのはよくないと思うんですよ。

こういうのはやりだすとどんどん価値観が狂って「やっててもいいんだ!」となります。周りがやっていると余計にです。また自己肯定感が狂っている場合が多いのでそういうコミュニティで注目を集めると頻度やら量やら増えていってもっと狂います。あと実際に依存がキツめなのものとかもあるので普通に狂わされます。

こうやってまともな道を歩めたかもしれないものを我々先のない者に引き摺り込んでしまうのです。

 

 

自分で調べて絶望して納得した上で壊れていくなら勝手です。今読んでいるあなたがどっち側かは知りませんが、勝手に1人だけで壊れるなら自由だと思います。

しかし、他にも助かる道があるかもしれない他人をこんな破滅の道に誘うことは決して許されてはいけないと思うのです。

 

 

ま、わたしは他人が狂ったところで興味ないのですがね。

狂ってしまった、狂わせてしまった貴方とは、地獄で会うことになるでしょう。

この言葉で他人を救った貴方には、きっとこれから素晴らしい幸せが訪れることでしょう。

 

それではいい1日を。

散文(ブリザーブドフラワーに例えたりしたかった)

あんなに絶望しきっていた去年とは打って変わって、やけに前向きに生きている。

もちろん2か月とかの単位で生まれたことを呪っては何をしても許されるような気持ちになっているわけだけれど。

 

そんな記録を読みながら、思考や気持ちを遺しておくことは大事だなと思った。

一秒ごとに自分は死んでいて、その自分の思考を、感情を、もう次の自分ではただしく参照することはできなくなるからだ。

一年前の自分の気持ち、苦しみなど一ミリたりとも、普通に思い出そうとしてもわからない。

感情を復活させるなんて無理だ。

 

たとえば、

二年前に好きだった人がいたとする。もう好きでも何でもない。

さて、今その二年前と同じ好きを抱くことができるだろうか?

できないと思う。少なくとも私には無理だ。

「好きだった」という事実はわかっていても、その時抱いていた感情をまるまんまもう一度再現するなんてできない。仮にできるとしても、今のその人への感情ではなく、あくまで過去の、思い出の中のその人への感情だろう(それにしても当時と本当に同じものであるとは到底思えないけれど)

 

人は変わっていくものだ。

わたしはなおさら。病気さんの気持ち次第で変わってしまうから。

場合によっては一日前、一時間前、ひどい時には五分前の気持ちすらよくわからなくなる。(ほかの人もなにかあったらそういうこともあるだろうけど)

病気を言い訳にしてはいけないのだが、わからなくなってしまうものはしかたないよね。

 

でも、今日の気持ちをちゃんと残しておいて、明日の私がわかるように。

そうすればきっと、いつまでもきれいに残せるよね?

生きている限り常に昼過ぎ

昼というのを一度経験した先はずっと昼過ぎなのではないかと、バカみたいな話をしていた。

そういう意味ではわたしたちは常に夜明けにいるし、夜明け前にもいる。

一度経験したことは消えないという意味で。

 

気が付けばわたしのまわりにはまた大切な人たちが増えていた。

さあ、このかかわりが永久かどうかはわからない。

でも、今、わたしの物語の最新ページの上では「大切な人」と記されているし、その事実は永久に消えない。

 

だから永遠に昼過ぎ。

 

閑話休題

 

なんかよくわからないままふらふら生きてるガキの私をたくさんの言葉でほめてくれる人たちが増えた。なんだか無駄に生きてきたのも無駄じゃないなと思えた。

22年、日が昇って落ちるのをただ眺めているだけの人生だと思ってたけど案外そうでもないのかもしれない。

わたしは自分の理想を目指して壊れていった。たぶん、その理想に到達できなかった自分に心底失望したんだと思う。それで、わたしは何も成していないと思ってしまった。

それをごまかすために人の評価を求めた、もうすでに自分への評価はされていたのに。

いったい何年、わたしは自分の価値を勘違いしていたのか。

ああ、でもその経験もすべて今の「わたし」を構成する大切なパーツ。なければわたしでなくなってしまう。

 

もし生まれ変わるなら、もう一度わたしをしたい。

もう一度、この「昼過ぎ」にいたいから。