ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

散文(ブリザーブドフラワーに例えたりしたかった)

あんなに絶望しきっていた去年とは打って変わって、やけに前向きに生きている。

もちろん2か月とかの単位で生まれたことを呪っては何をしても許されるような気持ちになっているわけだけれど。

 

そんな記録を読みながら、思考や気持ちを遺しておくことは大事だなと思った。

一秒ごとに自分は死んでいて、その自分の思考を、感情を、もう次の自分ではただしく参照することはできなくなるからだ。

一年前の自分の気持ち、苦しみなど一ミリたりとも、普通に思い出そうとしてもわからない。

感情を復活させるなんて無理だ。

 

たとえば、

二年前に好きだった人がいたとする。もう好きでも何でもない。

さて、今その二年前と同じ好きを抱くことができるだろうか?

できないと思う。少なくとも私には無理だ。

「好きだった」という事実はわかっていても、その時抱いていた感情をまるまんまもう一度再現するなんてできない。仮にできるとしても、今のその人への感情ではなく、あくまで過去の、思い出の中のその人への感情だろう(それにしても当時と本当に同じものであるとは到底思えないけれど)

 

人は変わっていくものだ。

わたしはなおさら。病気さんの気持ち次第で変わってしまうから。

場合によっては一日前、一時間前、ひどい時には五分前の気持ちすらよくわからなくなる。(ほかの人もなにかあったらそういうこともあるだろうけど)

病気を言い訳にしてはいけないのだが、わからなくなってしまうものはしかたないよね。

 

でも、今日の気持ちをちゃんと残しておいて、明日の私がわかるように。

そうすればきっと、いつまでもきれいに残せるよね?