ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

今日と明日とその先とその前

気が付けば2019の一月も終わる。

言ってるうちに平成も終了するというわけだ。生まれた時代が終わるというのもなかなか、なんだろう、自分も終わったほうがいいのではという気持ちになってしまう

死にたいと思いながら無理やり心臓動かしていたのはいつからだっただろうか

大事な人たちになんども心配されて叱られて怒られてそれでも死にたいという気持ちはずっと自分の中に棲みついていた

きっと最初死にたいななんて思ってしまったときは大したことはなかったんだとおもう。

宿題が終わんないとか、試合で勝てなかったとか、そんなどうでもいいこと。どうでもいいことが積み重なっただけなんだと思う。

最初はたぶん対処できてたんだと思う。思うっていうのは、もうずいぶん前のことで思い出すこともできないし、多用した薬と限界の精神のせいで記憶が抜けていくので確証が持てない。今考えていることすら抜け落ちる頭だからどうしようもないね。話そうとしたことすら時々話してる途中で抜け落ちる

その昔の気持ちを吐き出したものもどこにあるのかわからない。

 

 

どこがなくなれば今の自分がまともになるのだろうか

今日の自分はまともではないし、明日もまともじゃなくて、その先もきっとまともじゃない。まともじゃないしきっといつか自分で命を絶つんだろう。それが今日かもしれないし、明日かもしれない。

いろんな人に心配をかけたし、しっかりしてほしいって怒られた。

けど何をしていいのかわからなくて、何をしたらちゃんとした人間になれるのかがわからない、願いを込めて毎日薬を飲むけど何も変わらないし結局自傷だってしてるし体が動かない日もあるしわからない。

必要とされたから生きるきもちになるのではない。

必要とされたところでわたしはどこまでいっても壊れたおもちゃでしかない、

わたしがなりたいものは社会のみんなとおなじ「世界の奴隷」なのであって、だれか一人に愛されているだけで自分の存在価値を認識できない

それなら早く死んでしまいたい、

誰か一人に愛されてもわたしは利用価値のないゴミ

壊れたおもちゃは社会じゃ役に立たないので

わたしはいつ死ぬんだろう。自分の感情がいつどうなるのかもわたしにはわからない。