ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

自分の死後を憂う

わたしが死んだ後、生きていた間の感情の機微というのは誰かにわかっていて貰いたいなと唐突に思った。

 

というのも、qiitaに記事を残しまくってる人間が「後に残しておきたい(意訳)」などと書いていた受け売りなのではあるが、もともとわたしは「誰かに覚えていてもらえている間は生きていると同義」という主義のもと生きており、「どういった思考ルーチンで生きているのかをどこかで再現されれば生き返ったと同じ」と考えているのだ。

わざわざこんな平凡な障害者を再現したがる人間がいるはずはないが、万が一わたしのタルパやらAIやら作りたがる人間がいたとしたら、今の状態ではその助けになる資料というのはほとんどない状態になるわけだ。

厳密にはTwitterの書き込みが助けになる可能性はあるが、アカウントが分かれすぎていて全てを参照できる人間がいるとは思えないし、くだらないツイートというのがほとんどで思考ルーチンの解析など不能だろう。(もちろんそのくだらないツイートがお前の思考なんだろと言われればそれも否めないが)

不測の死に備えて遺書も書いてはあるが、そんなものは一時的な思考のメモであってわたしの全てではないし、読むであろう人間を想定して書いているのでわたしの抜き身の感情とは程遠い。

 

ではどうしたいかというと、このブログにまとめておきたいのだ。

死んだ後ここを見てもらえれば日々わたしがどう思っていたかがわかるように定期的に書いていきたい。

毎日とは言わず、書ける時にまとめて書くのだ。

過去の例から考えるとわたしが自死を選択するタイミングは発狂していると言って良い状態であり、何か残しておくことは不可能に近い状態だろう。

だからこうやって集積するのは悪くないはずだ。

 

という感情を残しておく。