ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

燃え尽きた話

長らく私はメンヘラしてることは書いたが、私の中には私を呪う複数の思い込みがある。

「自分は無価値」:これは前の通り。思い込みじゃなく真実なのかもしれない

「自分は弟が成功するための踏み台」:弟のほうがすごいので

「望まれて生まれたものではない」:親が弟にかかりきりなので(自分がポンコツだからあきらめてる

ほかにもいくつかあるが今回話すのは

「自分のする努力は何もかも無駄」

という呪いの話

 

この呪いを自分で作り出すのは高校受験の時

私は住んでいる地域の中でも難易度の高い高校を受験しようとしていた

その難易度帯の公立高校を受ける人たちの滑り止めはすごくレベルの高い私立高校なのであった。そこは私ではまず間違いなく受からないレベルの高校だった。

特にその時の私はまだ勉強ということに関しては自分はできるんだと思い込んでいた。

わたしはやればできる、だから私立も公立も受かって見せる、そう思ってラストの数か月、手首を刻みながら詰め込んだ。

実は公立のほうは君なら受かるとまで言われていた、だから受からないといわれた私立に受かれば受かると、それくらいの努力をすればなんとかなると思った。

結局私立は受かった。一緒に受けた自分よりはるかに賢い子たちとたたえ合った。

そのあと受ける公立は私立とは違う学力を求められた。

自分は落ちた。勉強をしてないわけではなかった。むしろ充分にしていたとすら思っていた。

無駄に晴れた日だったと思う。本命の高校だったが、涙すら出なかった。

ここで完全にわたしの気力は途切れてしまったし、一年必死に勉強したことが報われなかったことで完全に壊れてしまった。

当時の入試制度では前期後期で二つ公立高校を受けられたので、後期は志望校を2ランクさげた。もう努力をしないためだ。

当然のごとく受かった。それはそうだ、本来の志望校からランクを下げまくったのだ。受からないわけがなかった。合格発表の日もうれしくなかった。これから先の生活にわくわくもしなかった。

それから先、人生の選択において自分が努力をする気になることはなかった。

大学ですらそう。自分のしたいことができる場所、かつ努力しなくても通る場所を選択した。合格は当然だった。

今もそうだ、就職活動を避けている。どうせ手首に傷のある人間なんぞどんなに中身がよくとも一緒に働きたくないだろう、自分よりいい人がたくさんいる世界でわざわざ自分をとることはないだろう、そしてなにより、努力をしたところでいいところにいけるわけないだろ、という気持ちになる。

 

いままでは努力しないで行ける場所があった

しかしここから先社会に出るとき、努力できない私をとる場所はあるだろうか。

でも努力してもどうせ失敗する、できない。

そうぐるぐる思考を回すと一つの結論に落ちる

 

自分なんて死ねばいい

 

大学に入ってからずっとこの思考が消えない。でも努力して道を切り開く気力もなければ努力で自分の道を変えられるとも思えない。

自分で自分を呪い、そして死ぬしかなくなったのだ