ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

話題の渦中にあるもの由来の思考(病を患っていることについて)

一年近く放置していたらしい

まともにまとめるにある思考を行っているほどの暇がないタイミングが続くので許して欲しい。

 

なんだかTLがザワザワしているのを見て文面にまとめるべきだなと感じた思考が発生したのでここにまとめておく。

 

さて、このブログを読んでいる諸君にはある程度周知の事実ではあるが、わたしは「双極性障害」の当事者であり、「障害者手帳2級」を交付されている。

 

これを見てどう感じるだろうか。

私は「できれば関わりたくないな〜」と思われているのではないかと予想する。

精神障害を患っていることは、「関係性を断つのに相当するだけの正当な理由」足り得るというのは皆肝に銘じるべきではなかろうか。

 

実際小学生の時に明言せずともその特徴が色濃く出ているご学友に対して積極的に関わろうという気持ちになった人間はどれだけの数いるだろうか。

先生に勝手にお世話係にされた、以外で接したことのある人間はどれだけいるのか。

ひどい場合は友達連中と無視したり、虐めたり、そこまでせずとも近くに来たら「○○菌ついた!」と言ったりといった扱いをしていなかっただろうか?

 

私はこの病を患っていることを広く告知した際に関係を切られること、また職につけないこと、解職されることがあっても全くもって文句を言える筋合いはないと考える。

「面倒だ」という印象は拭いきれないものがあるし、広末涼子の件で「他害を行う危険性がある」と判断されるのはあまりにも自然なことであるからだ。

また、障害者手帳2級に相当する病状を見れば、社会生活を行う上で不安が圧倒的にあるのは明らかだ(内容は調べてみて欲しい。書いてるとしんどくなる。)

実際問題同じ病の仲間について大変申し訳ないが「関わってらんないな」という感想を抱くことすらある。

 

では何故私は大切な仲間や恋人、神に囲まれ、そしてそれなりの会社の正社員、イベント主催、イベントクルーという立場でいられるのか。

それは「関わってていいや」「別に病があってもこいつは問題ないだろ」と判断されるに足るだけの証明をここまでにしてきたからである。

 

この証明ができていないにも関わらず自分の特性を開示する、というのは第一印象をマイナスからスタートする行為である。

全く関係のない人物に対して配慮を要する病を患っていますという前情報があった場合にそこから積極的に関わろうと思えるだろうか?

元から開示しているのであれば、そこで足切りされることに文句は言えない。

 

その上で、実際関わる上で配慮を要する場面に遭遇する人は現状の関係性の中で一体何割いるだろうか?

わたしが生活する上では恋人や親などの身内、頻繁に遊ぶ友達程度しか自らの病が影響する場面は発生しない。

本来そこまでに行かない人間に対して病を伝える必要は一切ない。それによって迷惑をかけないようにすれば良いだけである。

迷惑をかける可能性が出てきた時に伝え、その段にここからまだ関係を続けるかの判断を仰ぐのがベターだ。

 

表舞台にて活動を行う上で、病を患っていることにアイデンティティ帰属意識を持つべきではない。

そしてそれを盾に権利の主張や配慮の強要を広く行うことは反感を持たれることは当たり前であると思うべきである。

またそれを行うことによって

同じように障害を持ちながらもまともに社会生活を送る努力をしている人間に対して不利益を強いることになる

という事実をしっかり認識して欲しい。

また、表舞台に出るに相応しくない状態まで達した際は大人しく一度身を引くことも大事だ。

 

残念ながら人間の多くはある属性を持つものには、そのうちの1人から得た印象を当てはめてしまうようにできている。

○○教、××人と聞いてどう思うだろうか?(なんかあんまりよく思ってないやつを任意で当てはめてください)

同じように「精神障害者」というカテゴリは世間から厳しい目で見られている。

すべての「仲間たち」が過ごしやすくするためには各々の努力が大事なのではないだろうか。

なので、わたしは社会を行うことを努力するし、他者に対して配慮を強要することもしない。

常に配慮されなければ生きていけない状態になった際は大人しくこの人生を終えることを決意もしている。

 

わたしほど極端なことは考えなくて良いと思うが、自分、ひいては同じ境遇の者に不利益を与えないように生きてみませんか?という提言をして締めとする。

 

 

 

 

 

 

※自分がここまで来るのに血反吐ぶちまけるほど頑張ってるのに、それを台無しにするようなことをされると血管切れるよって思ったから書き殴った。ゆるして。