ホルマリン漬けの思考回路

散文的思考ログ(旧:真空管かけごはん焼き機)

人は実体の中に宿るデータでしかない

思考ルーチンと記憶の積み重ね

思考ルーチンこそがその人をその人たらしめるものであるとは思う

どこかの鬱作品に影響された思考なんですけど、それはそうだとおもう

その人がその人であるっていうのはその人がどんな思考するかがそれぞれ違うから

だから思考っていうものこそがその人である。

じゃあその人がどんな時になにしたかってのをたくさん見て覚えてあの人ならこんな時こうするだろうなって思えるようになった人がいるなら、その人は覚えた人の中に生きてることになる

わたしはたくさんの人に覚えてもらったと思う

まぁ友達の前に出た時のわたしなんて本来の思考ルーチンを希釈しまくった薄味の思考しか出してないんだけど、それはそれでたぶんわたしだから、それはそのわたしが生きてるんだ。

浮気して人を傷つけたり、チヤホヤされたり、たくさん遊んだり、めーーーっちゃ覚えてもらったと思う。

わたしが今死んだら覚えてもらった時点のわたしがたくさんの人の中で生き続けると思う。

 

普通の人の思考ルーチンは成長して日ごとに変わるものだと思う。でもそれは地続きで、たぶん昔の思考もある程度わかるんだと思う。昔はこう思ってたみたいなことみんないうし

わたしは昔の思考ルーチンがよくわからない。思い出せないというか、病気にブンブン振り回されるたびに前の思考は死ぬから、理解ができない。それはこれからも続くと思う。だからみんなと同じように記憶を作り続けてどうのっていうのがグシャグシャになる。

綺麗な自分を覚えてもらってるうちに実体をなくしたい。なくなっても生きてるなら。

皆は覚えてるよね?

ブログにも書いたしネットの中にも生きてるよね?

なら実体なんて必要ないのでは?

わたしがまだ生きてる理由は一つしかなくて、それがなくなったらもうね、