わたしとは何なのか
ふとそう考えていた、残り3分でわたしをひき殺せるであろう電車がホームに入るのを待ってどのタイミングで飛び込もうかなと思いながら。
結局残り1分のところで思いとどまった
今日も無事酸素を吸い、血液を循環させています。
それをほめる人はいない。褒めてくれるであろう人を自分から突き放してきたからだ。何をしてもいつの間にか一人になってしまうのはわたしが誰かに認めてほしいと思うばかりにメンヘラをぶちかますからだ。それがだめなのをわかっているがそのメンヘラ要素のために、こんなごみをまた誰かが拾ってくれる、その繰り返しだ。
昔から何かにつけて友達たちに認められたいと思っていた。小学時代は勉強だとか、知識を詰め込むだとか、あとなにかしらの正義感的な要素、そういったことで一定の地位にいられたのでたぶん満たされていたんだと思う。いまだにあの時代が一番自分が輝いていたとすら思う。なにより死にたいなんてたぶん思ったことがなかった。
それが大きく変わったのが中学の時。転校したから自分のことを知らない人しかいないしこっちも相手を知らないわけで、でもそれでも自分は周りに認められたかったんだと思う。その結果無茶やって友達なんていない状態になるわけで。
そこで初めて思うんだよね、死にたいな、やりなおしたいな~って。
その気持ちが出来上がってからは早かった、中学はいじめもあったし、なにより視野が広がってとりあえず勉強するだけではどうしようもない社会がそこにあることに気が付いたのが大きかった。自分は普通の人間、どうしようもなくただ人間で、からっぽで、そして自分の替えはどこにでもあるのであった。
まあその「自分の替えがどこにでも存在するので自分の存在は必要ない」という思考がいじめによっていかれた思考回路で出てきた考えなので正しくはなかったのかもしれない。けど、自分は自分で出したその答えをなぜか強く信じてしまった。
親の勝手な理由で転校させられて嫌いになって、その先で友達すら信用できなくなって、その時は自分で出したその答えを信じたかったんだと思う。
その考えにたどり着いたとき、わたしの終わりが始まったんだと思う。きっとその時は本当に死んでしまいたいんじゃなくて小学時代の世界に戻りたかったんだと思う。
おおげさだけど
でもその「自分は必要ないもの」という結論と価値観は今も自分自身を呪い続けている
そして狂った中学生の自分は自分自身にもう一度価値を持たせるために手首を切り裂いた。
自分の運命と未来と自尊心と、そしてなにより得たと思った自分の価値も一緒に。
前の世界に戻りたいという願いを込めて薄い皮を切り裂く。
結局何も変わらなかった。でもその時友達たちに向けて放った「死にたい」って言葉とリスカ痕で一瞬でもみんなが相手してくれたってことでわたしのメンヘラ芸は加速していくことになる。
高校入学直後では部活選びに失敗するわ、承認欲求にまみれた地獄みたいなツイッターアカウントはバレるわでハチャメチャに浮いた。そのころにいた彼女だけが心の支えだった。がその支えは一瞬にして折れることになる。
今思えばたぶん罰ゲームかなんかで付き合ってたんだろって感じ。
そこからは学校もできれば行きたくないし、生きるのが楽しくないし、といった感じで地獄だった。どうやって生きていたのかは覚えてない。死ぬ死ぬ詐欺して家出したりしてめっちゃ迷惑かけた。どうやって生きていたのかは覚えてない。リスカはしてたんだと思う。自殺未遂も本気で何度かした。首も吊ったし、塩を致死量ほど飲むとかいう苦行もした。どっちも失敗したけど。
たぶん今思えばそこくらいから躁鬱なんだと思う。
その次の年は楽しかった。リスカをやめた。たくさんの友達に恵まれた。死にたがりはしてたけど。
その次の年も楽しかった。部活に入りなおして後輩と遊んだ。迷惑はかけた。今思えば躁だったんだと思う。
大学1年生~3年初期もたぶん躁のままだったんだと思う。死にたいとは思っていた。幸せだと感じられるときに死にたいと思っていた。時々メンタル崩して体調事引きずられるみたいなことはしてたけどそれでも躁で生きていたと思う。鬱になりながらも躁であるみたいに無茶苦茶な。どうせ社会人になるときにしぬんだから見たいな気持ちがあったんだと思う、だから無茶して注目されようとした、何を残してもどうせ死んで清算するんだって。
でも最後に自分は躁の「なんでもできる感」でとんでもなく人に迷惑をかけてしまう。
ふとそこで気づく、自分はメンヘラなのに自傷もせずになにをへらへらしているんだ?と。
そうしてちょうど知り合った人たちの真似してODで気持ちよくなった。
人に迷惑かけた罪悪感で鬱に変わったのもあってちょっとしたことでリスカしたりもした。
自分は大切ではないと思っているからだ。今この瞬間が楽しくなればいい。だからイライラした時はサクッと自分にぶつけるし、幸せじゃないなら薬をたくさん飲んで気持ちよくなるだけ。
そうやって生きてきて、ふと普通の自分が何だったのかわからなくなってしまった。
実際問題、まともな思考で生きていけていたのは小学時代まで。
10年くらいはメンヘラで生きているわけだ。そもそも死にたいとまで思わなくてもヒステリックだったり、被害妄想気味だったりは昔からしていたので最初からまともじゃないのかもしれない。それ以外に自分を自分たらしめるほど巨大なコンテンツがあるかと考えたとき、それはないという結論に至った。
もはやわたしが生きているのではなく、死に損なったメンヘラが歩いているというほうが正しい。
厄介なのはもしメンヘラが直って消えてしまったとき、自分にのこった承認欲求を満たせないということ。
これがなくなったらわたしはリスカ痕抱えて脳も弱いやばいゴミでしかない。
これをメンヘラじゃ~ンwって周囲が認めてくれないと生きていけない
自分はメンヘラにすがろうとしているしまわりもわたしがメンヘラであることを望むのだ。じゃないとやばいから。やばい生命体が生まれるから。
自分で自分を殺したいやばすぎる生命体はメンヘラというレッテルがないとあまりにもやばいのだ。
メンヘラのレッテルはわたしを苦しめるが、ないほうが苦しい
だから、できればメンヘラのわたしがそのまま生きていける道があればいいのになって思う
つまりなにが言いたいかというと、まともなわたしなんてものはもういなくてここにはメンヘラの、人形だとかしおんだとかしおにーだとかしおゆでだとか名乗ってる人間のようななにかしかいないということです。
それでも認められて生きていきたいのだ
なにもできないけど。きっとどこかでじさつするけど
そうおもいながらレキソタンを二錠食べる
緩やかな夜が降りてくる。ああ、きっと明日もクソみたいな世界にクソみたいな人形として生きていく。いつか死ねるその日まで